小説 舞の楽園 ( 転落の人生 )
- 2020/03/29
- 02:56
転 落 の 人 生 { 1 }
現在、私は派手でケバケバしいお化粧を施して、肩も露わなロングドレスを着て夜な
夜な街灯に立って、「お兄さん。遊んで行かない・・?」と言ってお客を取ること商いと
している女装者なのです。
50歳を目前としまして、幾ら熟女が持て囃される時代とは云え寄る年波には勝てずに
容姿も衰えて来ていまして、悲しいことですがお客様も逃げられてしまうようになってしまい
ました。
何時まで、このような街娼を続けて行けるのか・・と考えてはおりますが、何の特技も無
い私ですからこれも運命だと諦めてはいるのです。
これからお話をいたします私の「転落の人生」を参考といたしまして、皆様には真っ当な
人生を歩んで頂きたいもの・・と思っております。
では・・私の若い頃の鼻持ちならないエバッタ様子からお話をさせて頂きます。
当時。35歳の私はⅡ部ですが上場されている繊維会社に勤めておりました。若いながら
この会社の静岡にある営業所の部長と云う役職に就いていたのです。
私は「ヤリ手」と云う噂を自慢に思っていました。
そして・・ヤル気満々の男性3人と女性3人の部下を伴って、毎日充実した仕事をして
いる積りでした。
同期入社の中でも出世頭の私は営業所の部長などでは飽き足らず、いずれは会社の役員
を・・と思っていました。
私は『営業所の所長なんか・・いずれは僕の方が上に行くのだ・・』と云う気持ち
でしたから上司の所長を馬鹿にして、部下の者の気持ちも察してやらず、自信に溢れて
部下を仕切ってヤル気の無いと思える部下をところ構わず叱責していました。
「部下と云う者は叱って大きく育つものだ・・」と云うのが、当時の私のモットーだ
ったのです。
今になって考えてみれば、上司にも部下にも鼻持ちならない部長だったのです。
私が4月に営業所の部長となって赴任してから、初めての忘年会が市内の料亭で
催されました。
所長も参加しまして総勢8名です。
その日は金曜日でしたので、明日と明後日は会社も休みと云うことで、チョンガーで
赴任した私はすこぶる元気に酒を飲み、気分は最高でした。
その席でも、部下を怒鳴り散らしていたと思います。
営業所長は早く帰り女性3人も退出して、残るは男性社員3人と私でけになりました。
お酒が入るともっと気が大きくなった私は、私よりも5つも年上の男性社員を「無
能者」と呼ばり出して、後の若い2人を「馬鹿者」「阿呆者」と呼んでいたのを僅か
に覚えています。
そう言うことを言われた男性達はヘラヘラと笑って、私にオベンチャラを言うので
す。
それからの私は全く記憶がありません。
後で彼らから聞いた話ですが、エバッてばかりいる私を快く思っていない部下たちは
宴会の終わりに私の酒に睡眠薬を入れて飲ませて、辱めようとしていたのです。(つ
づく)
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