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小説 舞の楽園 ( 孫の彼女になって1年 )

 
       孫の彼女になって1年 ( 3 )
  『下腹に女陰を作っていないとすると、SEXはお尻の孔を使ってするのだろうか
・・・?』と考えてしまったのです。
本当に男って如何しようもない生き物です。
『お尻の孔=アヌス・・・を使ってどんなSEXをするのだろう?』って考えると、彼
女の全裸も想像していました。彼女が全裸で四つん這いになって、男根の大きな逞しい
男性に犯されている姿が浮かんで来ていました。
彼女の白く小さい男性自身が後ろからの刺激で起立しているのです。
生々しい想像に年甲斐も無く私の男性自身は起って来まして。アヌスが疼いてきました。
そのニューハーフのを犯している男性ではなく犯されているさやかに、私は自分の姿を
重ね合わせていたのです。

 私は山陰の出身で、父は農協に勤めておりました。
兄弟は年の離れた兄が2人おりまして、私が生まれた時には兄達は小学生だったと記憶
しています。
私が生まれた時は『今度は女の子が欲しい・・・』と両親は思ったようで、母親に似て
色が白かった私を中学校に上がるまでは、まるで女の子のように育てられたのです。
ピンクの産着に包んでお宮参りまでしたくらいですから、両親は余程女の子が欲しかった
のでしょう。名前も昌(ショウ)と男なのか女でもあるような名前を付けられたものです。
今はショウと云う名前は男の子にでも名付けるようですが、その頃は男の子には名前の
後ろに「男」か「夫」とか付けるのが慣わしみたいなものでした。
当時の田舎では、このような名前は珍しいのです。

 小学校の低学年までは赤とかピンクのお洋服を着させられて、スカートを履いて近所
の女の子とオママゴトをしているような子でした。
両親が女の子として私を育ててくれましたので、悪ガキで通っていた兄達も私には優し
く女の子として扱ってくれました。
小学校と中学校が1つの建物にあるような田舎の小さな学校でしたから、乱暴者の兄達
のお陰で苛められると云うことも無く学校に行っていました。
中学にあがる時には、黒い詰襟の制服を着なければいけないと言うことで、それが嫌で
大泣きに泣いたことを覚えています。
学校から帰ると女の子の格好に戻って母親の家事を手伝いしたり、繕い物などをしたり
していました。もうご近所の女の子とはオママゴトなどはしませんでしたが・・・。

 しかし、高校へ上がると『僕は男の子なんだ!こんなことをしていてはいけない・・』
と子供心にも思うようになったのです。自我がようやく芽生えてきたのです。
女の子の格好はしなくなりまして、私の育て方を誤ってしまったと思っている両親を
安心させました。そして・・・出来る限り、男の子の態度や口調を真似るようになった
のです。
高校を卒業すると東京へ出て来ました。
夜間の大学に入り、輸入品を扱う会社に就職しました。
男に戻った私は結婚をして、埼玉県の郊外にある小さな家を買いました。それが現在の
私の住処です。(続く)
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Author:舞
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