秘 書 の 遍 歴 - < 2 >
私は42歳になった今でも、自分を男らしいと思ったことは一度もありません。
もっとも、現在は女の姿をしまして、女秘書をしておりますが・・
男としては慎重も低く、当時は今よりも痩せていまして48kgぐらいだったと思います。
撫で肩でして、何より増して男にしては色が白いのです。
それも抜けるように白いのです・・
性格も考え方も、女性のように大人しく控え目です。要するに優柔不断と言うことです。
そして人見知りで、人前に出ますと赤くなって、何もしゃべることが出来ないのです。
ただ、田舎の小学校に中学・高校でしたが、お勉強だけはトップクラスでしたので虐めに合
うことはなかったのです。
ただし・・誰か強い子の庇護の元にあったような気がいたします。
そんな私でも一丁前に女の人が好きになって(好きになられて・・と言いなおした方が良さそう
です)結婚をしました。
妻は男を作って私の前から消えました。私の余りの優柔不断さに呆れ返ったものと思われます。
それと・・ですが。
今では判るのですが・・私のものに失望しかのかも知れません。
私の男性自身は白くって小さくって、皮を冠っていまして、彼女を満足させられなかったよう
です。
そんなこともありまして、私は男としての自信は益々失って、無気力状態になって行ったので
す。
商事会社に採用されまして、一週間の一般社員と同じ研修を終えて、私は総務課付けの
社長の秘書となりました。
会社では初めての社長の男性秘書になりました私は、それこそ金魚の糞のように社長のいらっ
しゃるところには従って廻るようになりました。
行動的な社長自らが運転する車で、私は書類の入った鞄を持って、助手席にチョコンと座って
・・と云うのが普通でした。
車の免許は一応は持っていましたが、それまでもペーパードライバーでして、「お前の運転
は危なかしくって見ていられない。とても運転を任せる訳にはいかない・・」と社長は申さ
れて、ご自身でハンドルを握るのでした。
私の実家は群馬の山奥の小さな山村です。
東京に出てきて結婚して赤羽のアパートに住みまして、彼女と別れた後もズ~ッとそこに
住んでいました。
「寮に住め!俺が呼んだら直ぐに来い・・!来られるように、寮に住むんだ!」
ワンマンの社長は私が社長秘書を拝命するとそうおっしゃって、寮に住まわせて下さったの
です。
寮は会社の裏側にありまして、徒歩2分は掛からない2階建てのコンクリート作りの建物で
した。
それも・・他の社員達は2D Kぐらいのお部屋を2人で使っていますのに、私は1人で1部
屋を使うように計らって下さったのです。
あっ・・社長のお宅は会社から歩いて4~5分のところにあります。
こうして、無口な私は社長と4・6時中行動を共にするようになりました。
社長はとてもワンマンですが、経営の才に長けていらっしゃるのかそれとも世の中を見る
才に長けていらっしゃるのか、会社はグングン大きくなり成長して行きました。
今までは国内の物流を手掛けていたのですが、海外からの物も取り扱うようになって行き
ました。
その初めての海外での買い付けは台湾でした。
社長自ら台湾に出張しまして交渉をしました。
通訳の方は現地の人と言うことでして、初めて社長と2人だけで3泊4日の出張でした。
私が秘書になりましてから、ちょうど1年が過ぎた頃でした。(つづく)
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