小説 舞の楽園 ( トルコ10日間 )
- 2019/03/25
- 18:05
トルコ 10日間 < 38 >
< 7日目 >
カッパドギアを後にした私達ツアーの一行はハットウシャシュへ約210km3時間で
す。
またまた、砂漠の中を真っ直ぐな舗装道路と、薄茶色の風景と時々車窓から見えるオアシ
スのような小さな集落だけの旅です。
高士さんも私も、ツアーの皆様も寝ていた方が多かったと思います。
午後、ヒッタイトの遺跡のあるハットウシャシュへ着きました。
この砂漠の中にある遺跡は広大です。今までに見たどの遺跡よりも格段に広くって、大
きいのです。
今は水も干上っておりますが、このヒッタイトの国も栄えたのでしょう。水道施設まで
ありました。何万人の人々が暮らしていたと考えられます。
一部は修復されておりますが、まだまだほんの一部です。ガイドさんは各国の研究者が
修復に携わっていると言っておりました。
1番高い所にヒッタイトの凱旋門があり、1ヶ月前にドイツの博物館より返されたと
いうライオンの像が辺りを睥睨しておりました。
ちょうどその日は日曜日でしたので、アンカラの大学の学生さん達が石で造ったお土産
を売っていました。
私はライオンの像を型取った石のお土産を1つ買いました。彼はお店に飾るのでしょう
か、両手に持ちきれないほど購入しております。
彼の旅行鞄には入ることは入るのですが、重くなって仕方が無いので、アンカラのホテ
ルに着いてからお店に送って貰っていました。
ハットウシャシュよりまたバスで220km、3時間かけてアンカラです。
トルコは昔はイスタンブールが首都でしたが、革命後に出来たアンカラが首都になった
のです。砂漠の中にビルが立ち並ぶ近代的な街です。
そこでは近代トルコの英雄 アタチュルクの廓を見学しました。そしてバルセロアルテ
ィネルホテルです。
このホテルも高士さんと同室でした。ガイドさんがホテルのフロントと交渉してくれた
らしいのです。ガイドさんもそれから同行のツアーの方々にも、高士さんと私の仲は
公認見たいになっていました。
つい私が女言葉で彼に話しかける度数も多くなり、始めは訝しげに私達を見ていた周囲
の方々も、いつしか普通のことのように認識されて行ったようです。
でも・・・流石に、最終日のことでした。
イスタンブールへ帰って来てクルーズ船の乗って海峡へ出た時のことです。
高士さんがトイレへ行きました。私はその時に船尾の甲板に1人で残っておりました。
その時ご夫婦が近づいて来たのです。何時もは必ず私の傍に高士さんが居るのに、私が
1人でいることに気が付いたのです。
「あらっ。ご主人は・・・?」
高士さんが居ないのに気付いた奥様が私に尋ねられたのです。
男姿の私に対して「ご主人は・・・?」と言ってしまった奥様は思わず言ってしまった
ようで、直ぐに「ゴメンナサイ」と謝っています。その言い方も、蔑みだと云う様子で
は無く、ごく普通に出てしまった言葉の感じでした。
「いま、あの人はおトイレです・・・」
私も奥様に釣られたように、柔らかな女言葉で答えていました。
この出来事は、『私達のことを、周りに居るツアーの方々も、そう云うように 思ってい
るのだわ・・・』と感じて嬉しい限りでした。
それは最初の頃は、皆さん私達に違和感を覚えていたのでは無いでしょうか?
男姿の私が、恋人同士のように高士さんに縋り付いて、時々は女言葉を使っているので
すから・・・それも、日1日と女に近づいて行くのですから・・・
同行の皆様面と向かっては何も言いませんでしたが、「あの人、オカマだわ・・」と陰
では噂をしていた・・・と思うのです。
しかし、年月を経たご夫婦ばかりですから、『私の行動を非難したり、することは無い』
と思って下さったようです。そのままの形で受け入れてくれたようです。
その日もそのご夫婦は特に・・私と高士さんにはです・・普通に接してくれていたの
です。
私よりも10歳ぐらい年上と思えるご夫婦でしたので、性に関することは超越してい
たのかも知れませんね。
いえ、そのご夫婦だけではありませんでした。今回のツアーの皆様はいい方ばかりで
ございました。それに・・ホテルのお部屋の便宜を図って下さったガイドさんも理解
して下さったようで、私は大層嬉しかったのです。
その時も、「あの奥様が{あらっ、ご主人はどちらへ?}とおっしゃっていらしたのよ
・ ・・貴方をご主人だなんて・・・わたし、嬉しくって」
船尾の甲板に戻っていらした高士さんに向かって呟いていました。彼も嬉しそうに
ご夫婦の方に向かって軽く目礼をしておりました。(続く)
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