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カミングアウト

   
         カミングアウト (そうすれば家族) < 2 >
   でも・・不思議なのです。
 「逝くぞ・・!」と叫んで射精をされた瞬間に・・不思議なのですが、その痛みの中
 に疑似男根の張り型とは違った、本物の持っている温かさとドクドクと注がれた射精
 に、何かこう安心感みたいなものを感じていたのです。
 この感覚は裂かれたアヌスの傷も癒えた後も、私の心の深層に残っていました。

       ( 私と息子 )
  私は結婚しまして23年。55歳をも過ぎました。
 妻は身体も弱く、子供にも恵まれませんでした。・・と言うよりも、私の一物が小さか
 ったためかも知れません。
 そこで・・妻の姉に2人の男の子がおりましたので、その次男の和樹を小学校卒業と
 同時に養子に向かえることにしたのです。
 息子になった次男の和樹も、長男の子も妻には「おばさん。おばさん」と言って懐いて
 いたからです。
 和樹を養子に向かえた当時は妻もまだ元気でしたが、思い心臓病を患って今は入院生活
 を送っているのです。

  私は40歳の時に、当時お勤めをしていた貿易会社を辞めまして、実家の総菜屋を継
いだのです。
 折角、父が興したお店を潰したくは無かったのです。
 お店と云うのは、仕出し弁当を作って販売し、付近の会社などに配達する総菜屋なので
す。
父がお店を興して、母も手伝っておりましたが、母は私が大学を卒業すると同時に亡く
なりまして、父は私が家業を継いだ翌年に亡くなりました。
結婚をしまして家業を継いで、妻もお店を手伝っておりましたが、妻が入院して亡くな
った今は、近所のオバサン達を5人パートさんとして雇い営業しております。

 元々病弱だった妻は死んだ母親の代わりにお店に出ておりましたので、心労が重なっ
たものと思われます。それで・・寝た切りになってしまいました。
養子に向かえた息子は特別良く妻にはなついておりました。
それでも、養子に来た当時は「お母さん」と呼ぶのが恥ずかしいのかなかなか口にしな
かったのですが、半年くらい後からは「お母さん」と言うようになっていました。
如何云う訳か、私に対しては「お父さん」と言うのは聞いたことがありません。しかし
懐いてはいたと思うのです。

 妻は病院に入院したきりになってしまいました。
私も息子も月に1~2回は必ず見舞いに行っております。
手術をした病院は何しろ自宅からは60kmも離れていますので、思うようにはお見
舞いには行けません。
決して太っていた妻ではありませんが、痩せてガリガリの老婆になってしまいました。
私と息子がお見舞いに行く度に、痩せ細っているようで、「お母さん。早く元気になっ
てね・・」と息子は言っておりますが、私は「もう助からないのでは・・」と内心では
思っておりました。(つづく)
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Author:舞
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